メンタル・ヘルス研究所日本生産性本部

人事政策と「心の安全網」

(生産性新聞2003年10月15日号)

経済指標に少し薄陽がさし、長い平成不況脱出の兆候が見えてきたところだが、雇用情勢の好転は不透明であり、職場のストレスの重圧下で働く人たちの心の健康を守る安全網の必要性は減らないだろう。とくに「成果別賃金制度」が産業人の精神健康にどういう影響をもたらしているかが注目されるところだ。

日本生産性本部のメンタル・ヘルス研究所の調査によると、「成果」を評定する企業側の評価についての従業員側の満足度は、成果別賃金制度の導入が顕著になったこの三年間、連続して低下している。評価制度そのものより、個人の評価、仕事の配分の不公平感が個人の心身の健康に及ぼす影響が強く、評価や仕事の配分に納得がいかない場合、身体面の健康度も落ちてくる。人員削減をするにしても職場の繁閑に対する検討が不十分のまま、一律に人減らしを強行すれば、仕事が増え、しかも雇用削減の脅威に曝されている部署では「燃えつき症候群型のリストラ鬱病」が発生する。人事政策は産業人の健康にてきめんに影響する。
 
これに対する裁判所の認識も変わってきている。企業人なら誰しも昇進を望み、課長やプロジェクト長に抜擢されることは願望の的であるだろうに、昇進することで責任の重さやトップと部下の板ばさみに悩み、「昇進鬱病(プロモーション・デプレッション)」に陥り、自殺する事例さえある。「そうなることは分かっていたはずなのに、不適切な昇格をさせられ、夫は自殺した」と、遺族から人事管理の不適切を理由に損害賠償請求がなされ、原告側勝訴となる判例も出てきた。
 
だからといってこういう場合、「昇進鬱病」に陥りやすい前鬱性格(メランコリー親和型性格)者は「几帳面で律義で仕事熱心で何事もキチンとしなければすまない気配り人間」であって、こういう人が中間管理者として存在しなければたいていの組織はもたない。その上、昇進を阻まれたり、降格されたりすれば、今度はサラリーマン人生に絶望して「上昇停止症候群」に陥り、うつ病がなお重症化することもあるから厄介である。

「人事管理の不適切による心身の不具合による能力喪失」を理由にする損害賠償請求は米国で増えており、わが国でも増えることが予想される。企業にとってはとんでもない言いがかりに思えても、判例は日米ともこれをかなり認容する傾向にある。したがって、@人事についてのポリシーを定めるに当たり精神保健上の要素を考慮に入れることAやむを得ない人員削減や雇用条件の変化などの従業員心理への影響に対応するための、セーフティーネット(安全網)としてのメンタルヘルス管理体制の整備――が雇用者側に求められる。
 
米国での職場精神保健プログラムであるEAP(従業員援助計画)の普及も一つには、こうしたタイプの訴訟に対して企業側が必要な配慮をしていることを証明するための、安全網としての意味もあるらしい。職場メンタルヘルスは決して弱者救済の恩恵的制度にとどまらない。「情は人のためならず」なのである。